出会いはシンクロニシティの流れの中に
2009-12-28 13:18:13
カテゴリー ソリテュード(積極的孤独)
「孤独を研究しています」などというと「人間嫌いか」と
勘違いされることもある。
そんな時「実は、それとはまったく逆です。人が好きだからこそ
その出会い大切にするひとりの時間が必要なんです」と答える。
人との出会いは、その後のソリテュードという時空間の中で
一層の喜びを増すのである。そんな素敵な出会いが年末にあった。
しばしば、出会いとは「願っていればいつかは叶う」といわれる。
では「願ってもいなかった人と出会う」ということは、潜在的に
願っていたからなのだろうか。
「あれは必然の出会いだったのだろか…」
日が経つにつれ「何か大きな流れの中に居たのだ」と感じる
出会いがあった。
その方は北鎌倉、五山のひとつ瑞鹿山円覚寺管長、足立大進さん。
一瞬のご縁としか言いようのない方からご紹介をうけご自宅へ
お邪魔する運びとなった。
【写真1】張りのある声、洒脱な会話が心なごませてくださる(77歳)
北鎌倉の山々に囲まれた場所に立つすきや作りの家。
素敵に枯れた庭が師走とは無縁の静かな風情を漂わせている。
いつものきもの姿でチャイムを鳴らし待っていると、庭のほうから迎えに
来られ、開口一番「桃割れ、振袖姿で来ればすぐにあけたのだが」と
破顔一笑。緊張が一気にほぐれる。
ご紹介者とともに、老師自ら点てた抹茶とお菓子をいただく。
何気ない会話とともに、その場にいるだけでゆったりとしてうれしくなる。
そんな中、円覚寺でかつてイヤホン・ガイドが用いられたことがあり
それを知り管長として大反対をして中止させたというエピソードをうかがった。
「…そんな事で収入を得ようとするのは違う…禅というのは、そこ居て自らが
感じればよいのだ。説明はいらない。それに説明があっても御本尊などみられない
ものがあるわけで、それではまるでルーブル美術館にいって、説明だけきいて
ミレーの絵は幕の向こう側で見せられないというのと同じことだ…」
禅については無知であるが、静かに自分と対峙する時間の中から何かをつかむという
点では「ソリテュードが創造の源」といわれるのと同じであると大いに共感した。
【写真2】老師さまと共に(鹿の縁がある円覚寺に因み鹿柄の帯を締める)。
和室には「座忘」と記されていた。
帰り際に、いくつかの書をいただく。
鎌倉の山際をくっきりと染める橙色、紫、濃青が目にしみいる岐路心は晴れやか。
【写真3】シンプルな言葉。自分で自分を認めて褒めることも大切。
【写真4】流されず、でも流れにそって。そんな自然体でいよう。