COMZINE by nttコムウェア 2007年12月掲載
NTTコムウェア『COMZINE』からの取材依頼のタイトルが
「かしこい生き方のススメ」ということを知り、当初は面映ゆさが先にたった。
しかし「ライフ・スタイルとしてのソリテュード」を提案している身にとりそれは良い機会に思えた。
余談だが、取材を受ける際に確信するのは「気の交流」が穏やか流れた場合には、短時間で良い内容が出来上がるということである。よって、いつも心してラポール(信頼)と笑いが築ける場をつくるように心がけている。
2年前のこの取材はKazumi流ライフ・スタイルの一つの柱を分かりやすく説明した点でインタビュアーに感謝している。
最後にソリテュードを「人生をよりよく生きるためのツール」と的確に理解してくれたのも嬉しかった。
袷の小紋:茄子紺の深さが白の染を際立たせる。帯:黄色のかがり名古屋は真夏以外活躍する重宝な品。小物:オレンジの真田紐を帯締めに転用。帯留はペルーのペンダントを使って作ってみました。ちょっと大きめサイズが丁度良い。
「寂しい」「暗い」「みじめ」・・・。
「孤独」という言葉は、否定的なニュアンスが強調されがちだ。
私達には、孤独になることへの漠然とした怖れがあると言っても過言ではないかもしれない。
一方、英語で孤独と言う場合、そこにはポジティブな別の意味合い、つまり「ソリテュード」という側面が含まれる。
一人でいる時間に積極的な意味を求め、それを新たな自己創造へのステップとする。
孤独学研究の第一人者、津田和壽澄さんにお話を伺った。
―― 「孤独」というと、「寂しい」「一人ぼっち」「誰も相手にしてくれない」というように、私たちはどうしてもネガティブな意味に捉えがちです。
津田 「孤独」という言葉を考えた時に、そこには二つの側面があると思うんです。一つは、誰もが思い浮かぶ「寂しい」「一人ぼっち」という、できれば避けたいニュアンスです。でも、もう一方には「一人の時間に自分を取り戻す」「勇気や決断を得る」といった、ポジティブな意味合いがあります。
ところが、日本の戦後社会、競争社会が、そうした面をほとんどそぎ落としてきてしまったようです。競争原理で動く社会では、為政者は目標を達成するために集団の力を必要とします。そんな時に一人ぼっちでいられては集団の役に立ちませんから、孤独を肯定的に捉える必要はないんですね。このように社会が変化する過程で、人が成熟していく上で欠かせない「孤独」がそぎ落とされてきたのではと考えます。
―― そこで先生の「孤独学」では、消極的な孤独を「ロンリネス(孤独感)」、積極的な孤独を「ソリテュード」と呼んで区別しています。孤独が持つこの二面性、実は私たちも普段の生活の中で体験しているんですね。
津田 その通りです。ロンリネスは誰でも分かりますね。ソリテュードは、例えば集団から離れ一人ゆっくりお風呂に入って、「ふぅーっ」と一息つく時。あるいは、何もせず、お茶でも飲んでいる時。そんな時に素晴らしいアイデアが浮かんだという事はありませんか? それがソリテュード体験の第一歩。5歳は5歳の子なりに、80歳は80歳の方なりに、皆ソリテュードを体験しているんです。ところがここが孤独のトリッキーな部分なんですが、皆さんソリテュードは感覚的に分かるけれど、それが起こるメカニズムを論理的に説明できないし、ソリテュードには心理的、医学的、社会学的に効用があるとされているにもかかわらず、それを知らずにいる。ですが、知らないけれど結果的にソリテュードを体験できてラッキーだったというのでは、もったいないと思うんです。もしラッキーなソリテュード体験をしたのなら、それを知識として自分の中に蓄えておけば、次に自分が落ち込んだ時、そこからの回復にきっと役に立ちます。
―― ソリテュードは感覚的なものではなく、学問体系の中で認知されていますね。そもそもソリテュードが研究されるようになったのは比較的最近の話だとか。
津田 アメリカで本格的な研究が始まったのは1970年代のことです。50年代から少数の学者がソリテュードの効用に関する論文を発表したり、講演を行ったりしていましたが、ソリテュードへの反論がほとんどでした。キリスト教、特にカソリック世界においては、自己の確立は尊重されるけれども、神との合一を求めるという点では、やはり集団であることに重きが置かれたのでしょうか。むしろ日本では、古来、宗教を始め、武道、華道、茶道など「道」といわれる中に「ひとりでいることの効用」が理解されていようです。
また、ソリテュードが注目されるようになった背景には、発達心理学の進歩があります。「人が十分に発達する上で一人の時間が必要である」といった研究が進み、徐々に一人の時間の効用が認められるようになってきました。
―― その過程で、「一人でいられること」は能力のひとつであるという考え方が出てきたと。
津田 1958年に「一人でいられる能力」という論文を発表したイギリスの精神分析家、ドナルド・W・ウィニコットは、もともと小児心理学の研究者でした。彼はその論文の中で、「幼児は母親や養育者との間に充分な愛着(アタッチメント)があれば、それに安心感を得て自分は一人でも生きていけるということを体で感じ、ハイハイして冒険の旅に出ていける」という意味のことを書いています。最初は親の姿が見えないと火が付いたように泣いていたのに、やがて親の気配を感じられるところまで移動できるようになる。つまり人間は成長していく段階で、自然に一人でいられる能力を身に付けていくわけです。
更に、ニューヨーク大学応用心理学教授のエスター・S・バックホルツは論文の中で、赤ん坊の頃にすでにソリテュードが必要であること、また乳児のMRI検査によって、一人でいることによって免疫システムを活性化させている事が分かったと書いています。
―― 一人でいられる能力=孤独力(ソリテュード・パワー)ということですね。でも多くの人は「一人でいられること」を能力だとは思っていないのではないでしょうか?
津田 そうなんです。ほとんどの人が「一人でいられること」を、その人自身の気分や性格の問題だと捉えています。あの人は寂しがりやさん、社交的な人、強い人、弱い人、といったように。私も孤独に関する最初の本『もう、「ひとり」は怖くない』を書いた時、ある人から「津田さんは強い人だから一人でいられるんだよ」と言われたのは、ショックでした。「私は大家族で育ったから一人の時間なんてなかったけど、充分幸せだったよ」という人もいました。
長年、組織の中で生きてきた人には、孤独力という概念は素直に受け入れがたいのかもしれません。でも、会社では同僚や仲間に囲まれているビジネス・パーソンも、一人の時間がなくなると何となく落ち着かなくなるとか、効率が落ちた気がしたとかいった経験がないでしょうか。誰もが心のどこかでは分かっているはずなんです。それは孤独にはロンリネスだけでなく、ソリテュードという側面があり生きる上で必要なことだと。
―― では、ソリテュードにはどんな効用があるのでしょう。お風呂の中で一息つく時間もソリテュードだとすると、気分が落ち着くこともそうかなと思いますが。
津田 お風呂でリラックスすることで、心身が楽になりますね。もちろんそれもソリテュードの効用の入り口の一つ。他にも、勇気や決断力が湧く、考える力が高まる、人間関係が楽になって人に優しくなれるなど、ソリテュードにはいろいろな効用があります。分かりやすい一例として、今多くの小中学校で行われている「朝の十分間読書運動」を挙げましょう。授業が始まる前の数分間、生徒たちが自分の好きな本を読むんです。読書感想文を書くでもなく、推薦図書を読むでもない、自由に読書をさせるのですが、これは単に読書の時間であるだけでなく、生徒たちに一人の時間を思い出させるための活動でもあるんです。この活動を行った生徒達は、成績が上がっただけでなく、注意欠陥や多動性障がいが見られた子供が減少した、いじめがそのクラスから減ったなど、ポジティブな症例が沢山報告されています。
―― そうしてみると、現代の私たち、特に大人達は、本来自然に身に付いているはずの孤独力を活用できていないと思わざるを得ません。
津田 そうですね。情報化社会に生きる私たち現代人は、知識も経験も非常に豊かです。大学進学率も高くなって知識はあるし、いろいろな情報にどこからでもアクセスできます。ナイフで指を切って血を流すというような経験は減っているかもしれませんが、別の経験、例えばパソコンを自在に操作するということはできますね。ところが、この知識と経験が「知恵」に発酵していかないのが、現代の私達ではないでしょうか。私はそこに孤独力の必要性を感じています。
孤独力によって熟成される知恵を得ることは、「無意識にラクに生きられる力」と言っても良いと思うのですが、右か左かを論理的に考えるんじゃなくて、バッタはこう捕ればいいんだというような、経験知から得られるものです。知恵があれば、黙っていても体は勝手に動きますからね。
―― 確かに、入ってきた情報を熟成させる間もなく、アウトプットするのが、現代かもしれません。
津田 知識と経験を知恵に発酵させるために必要なもの──私はそれを、「心ののりしろ」だと考えています。もっと分かりやすく言えば、何もせずぼーっとしている「余白の時間」。ぼーっとしていると言っても、心の中ではいろいろな事を考えているかもしれない。考えていても、それはやはり余白の時間なんです。今の私達は、丸一日そういう余白の時間を取ったとすると、罪悪感にかられてしまうかもしれません。でもその時、自分自身に向かってこう言い聞かせて欲しいんです。「今日は自分の中の孤独力を発酵させるための一日だったんだ」「今日一日ソリテュード・タイム(積極的孤独時間)を過ごした。明日からもっと、ラクに生きられる」など、とにかく自分にそう思い込ませるんです。
なぜそんな呪文を唱えるような事をするのかというと、その裏には、自分が何もしなくても勝手に動いているメカニズムがあるからなんです。例えていうと、それは発酵のメカニズム。お米を発酵させれば日本酒や焼酎やどぶろくになるように、余白の時間が、自然に人が本来持っている孤独力を活性化してくれるんです。ただしこの余白の時間は、意図して自分から作りに行かないといけません。待ち合わせをしているのに相手が来ないとき、イライラしてそれを無駄な時間にするのではなく、自分で「これは『のりしろタイム』なんだ」と思い込む事が大切なんです。人間の体は不思議なもので、思ったところからすべてが始まるもの。頭の中で意識して「よし、こうしよう」と思ったら、体もそちらへ向かおうとするのです。ですから、意識的にソリテュード・タイムを持つようにして欲しいんです。
―― 人間の心には、もともと孤独力を持てるようなメカニズムが備わっているのですね。
津田 心理学上の多くの研究や論文がそれを証明しています。孤独力というのは、普段一人で考えるというだけでなく、先に述べたロンリネスをソリテュードに昇華させていく力という意味もあります。そうすると、何よりも今私たちがこうして生きて存在していること自体が、その証だといえるでしょう。一度や二度は死にたいと思ったことがあるかもしれません。でも、今生きている。思い出してみて下さい。過去にもの凄く辛い経験をした時、じっと部屋に引き籠もったり、逆に辛さを忘れるためにスケジュール表を真っ黒にするくらい仕事の予定を入れたりしませんでしたか? でもどんなに忙しくしていても、そういう状態の時は普段よりもたくさん「ふぅーっ」という時間を多く取っているはずです。もしかしたら週末の睡眠時間を長く取っているのかもしれないし、あるいはトイレに入っている時間を長く取っているのかもしれません。なぜなら、そういう時間を取らないと人間は肉体的に飽和状態になってしまい、次に進めないからです。
自分の辛かった経験を振り返ってみれば、当時は気が付かなかったけれど「あの時、自分は余白の時間をあえて取ろうとしていたんだ」ということが分かるはずです。あるいは、「余白の時間を取り損なったから、あの悲しみが長引いてしまった」とか、「人に会いすぎてしまったから、表面的な、心の荒い部分だけを刺激し、その底にある本当の自分の感情に向き合わなかった」と気づくかもしれません。人間は生きていく上で、自ずと余白の時間を持つように作られているのでしょう。
―― ひどい孤独感に襲われたとき、人はよく時間の癒し効果に助けを求めます。その時、ソリテュード・タイムを意識することによって、違いがあるのでしょうか。
津田 よく時薬(ときぐすり)という言い方をしますね。ロンリネスからソリテュードに変わる段階にはいくつかのプロセスがあって、時間はかかっても、最後は誰もが必ずソリテュードに出会い、成長させていくことができます。ただその過程で、あらかじめ「自分はソリテュード・パワー(積極的孤独)を使って、この孤独感を必ず素敵な一人の時間に変容できるんだ」と知っていたらどうでしょうか。ロンリネスからソリテュードへと至るまでの道筋で近道を見つけられるかもしれません。
なにも難しいことではありません。頑張る必要はないし、ましてや修行なんかでもない。ただ、ひとりの時間が生み出す効用へ意識を向けるだけでいいんです。
―― そうなると孤独力は、「人生をよりよく生きるためのツールのひとつ」と言えますね。
津田 そのとおり。私は「心の丈を伸ばすツール」だと考えています。ツールだから、スイッチがある。誰の心の中にも孤独力のスイッチがあるんですが、皆それに気が付いていないか、気が付いていてもスイッチを入れるのを忘れているか、あるいは入れていたはずのスイッチがいつのまにか元に戻っているんですね。私の役目は、皆さんの心の中にある孤独力のスイッチを押して回ることだと思っています。
なぜならば、私自身がスイッチを押し忘れていたから。子供の頃から一人でいることが好きだったのですが、大人になるにつれ、一人でいることに違和感を覚えるようになって、10代、20代の頃は無理して周囲に協調していました。つまり、押されていたはずのスイッチを自分でオフにしてしまったわけですね。ところがイギリスに留学している時、ロンリネスの最中にあって、何の前触れもなく突然、ソリテュードを経験したんです。それから10年以上にわたってスイッチを押し続けている(笑)。最初の5年は、それこそ毎回毎回「これ、ソリテュード・タイム」と意識しながら。でもこの数年で人間関係が楽になった事を実感しています。言い換えると、人を受け入れることがわくわく楽しくなったのです。
―― 津田さんが教えてらっしゃる「孤独学」のゼミは、学生の間でも一番の人気らしいですね。
津田 「孤独」というキーワードがピンと来るようです。面白いのは、毎回学生に「孤独って何色?」と聞くんですが、黒や茶色のほかに、最近はピンクやオレンジと答える学生が増えた事。もう4年教えているんですが、最初は8〜9割の学生が「孤独=ロンリネス(孤独感)」という認識でいたのに、今年の春は7割くらいの学生が、「一人でいるのは楽しい」と言うんです。
ここは30〜40代の人たちとも、70歳以上の人たちとも大きく違いますね。若い人を中心に、思いのほかソリテュードが浸透しているような気がします。こういう世代による意識の変化は、いつかちゃんとフィールドワークしてみたいですね。
by @kazumiryu