かつて、拙著『もう、「ひとり」は怖くない』(祥伝社)にて日本から単身ケンブリッジ(英国)にやってきた際のひとりの時間の意味について記した。
その留学の旅は「自ら選んだひとりの時間」でありながら別の観点からみると「追いやられたひとりの時間」でもあった。
いずれにせよ20代のその日、わたしはケンブリッジにある広大な公園のベンチにすわり、心細さと手持ち無沙汰で、数十秒に一回腕時計をみていた。
春の美しい芝生は何も意味を持たず、わたしは内なる声に耳を傾けるには、その効用も方法も知らない未熟な存在だった。
今回、長い時を経て偶然のように導かれてやってきたケンブリッジは記憶のかなたにあった街とほとんどかわらずに佇んでいた。
わたしは、海馬に眠る記憶が刺激されるままに足をむけ、芝生の青々と茂るJesus Green(公園の名称)にたどりついた。
木の固いベンチに座り、目を閉じる…
遠くに聞こえるボール遊びの声、カム川を下るパンティング(ボート遊び)の音
それらが五感に触れるのを覚えながら、わたしの心は過去と現在を自在に行きつ戻りつする。
当時、言葉も十分にわからず怯えていた姿、がんばっていた自身そしてこれから何が起こるのかとわくわくする今…
そんなソリテュード・タイム(積極的孤独時間)を堪能しながらこれまで、数えきれないひとりの時間の中で発酵してきた感情や癒されてきた体を再確認する。
そこには、ソリテュード学を研究してきたことの一つの検証があり新しい自身にむかい合う時に、必ず必要な時間であるとの実感もある。
これまでの価値観が崩れ、大きな変革が求められる今こそ、アンソニー・ストーのいうようにソリテュードの効用を今一度、みなさんと一緒に考えてみたいと思う。
The capacity to be alone is a valuable resource
when changes of mental attitude are required.
Anthony Storr
独りでいられる能力は、精神的態度の変化が
必要となったとき、価値のある資質である。
A.ストー『孤独』(創元社)