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超「孤独」考える〜積極的孤独の育て方

2011年11月02(水)、東京銀座ロータリークラブのお招きにより、卓話(スピーチ)をする機会を得ました。
タイトルは『超「孤独」考〜積極的孤独の育て方』
大勢の出席者は経済界の第一線で活躍なさっている経営者の方々です。
特に立場上においては、経営者の孤独を肌に感じていらっしゃるかもしれません。
今回はソリテュード入門編ともいえ、その考え方を簡単に整理した内容ですので、その一部をご紹介いたします。

東京銀座ロータリークラブで卓話(スピーチ)をする津田恵子

折々に「人はひとりで生まれて来て、独りで死ぬ」という言葉を耳にします。
このように人は誰でも孤独です。
しかし、何となくその事を考えたくないと思っているようです。
それゆえに、きょうは孤独の意味を整理し、成熟した人間だからこそ味わえる滋味豊かな孤独を再確認したいと思います。

日本庭園

まず、孤独ときくとどのようなイメージをお持ちでしょうか。
ご紹介者の方がおっしゃったように、「少し寂しい」という理解が最初に頭に浮かぶ方が多いかもしれません。

これはもっともな事なのです。
と、申しますのも、きょうのテーマである「孤独」は、もともとは中国の「孤独鰥寡こどくかんか」という言葉が時とともに短くなって今に至っているからなのです。この四文字はそれぞれ「親のいない子ども、老いて子のない人、妻に先立たれた夫、夫を亡くした妻」という意味をもっています。「家」を中心に社会が動いていた時代にとっては寄る辺なき寂しき身の上を表わす、ひとりぼっちのオンパレードです。
この四つの漢字が二文字の日本語となった「孤独」は、その言葉のもつ不幸感はそのままに現在に至ってきました。ですから今もって、多くの人にとって、できれば避けたい言葉という第一印象を纏っているのも、うなずけます。

しかし、論文発表後のこの10年ほどで大学に限らず、講演会でも次第に明るさにスポットがあたっている変化を知るにつけ、内心「我が異を得たり」という思いでニコニコしております。

ですから、きょうは簡単ではございますが、このなじみ深い「孤独」に関する2つのことをお話させていただきます。

ひとつは、孤独を意味する2つの名前。
もうひとつは、その効用の素晴らしさについてです。

東京銀座ロータリークラブで卓話(スピーチ)をする津田恵子

みなさまにとって孤独が2つの意味をもっているということは直感的にすでに何度も経験されてご存知の事と思います。
たとえば、経営者として多くの人に慕われ、広い人脈をもっていても、悩みは誰にも相談することもできずに震撼とした孤独感が心の奥に眠っていること。あるいは会社やパーティで大勢の人に囲まれ、そこで意気軒昂であっても一歩その群れから離れ車のバックシートに身をなげだしたときに、ほっとひとりを喜ぶ瞬間。ほかにも重要な決断は何度も重ねた会議よりも、早朝の誰もいない会社や書斎の静けさの中で天啓のように腹に落ちたという体験です。
本来「孤独」というのは「ひとり居」という事とイコールでした。
物理的にひとりでいること。それ以上でもそれ以下でもない中立的な状態を表しています。
英語では being alone という表現になります。

そして、その状態へ自分の意志に反して追いやられてしまった
孤立したという場合に付随する心理状態を「孤独感」といいます。
英語では loneliness といいます

日本ではその「孤独感」だけを孤独という言葉で表現する傾向が生まれてきました。この傾向は高度成長期においては、大変有意義なものでした。
なぜならば目的にむかって、一丸となって邁進する。そこから離れないかぎり孤独ではないという風潮です。「滅私奉公」という今では死語となった言葉が使われていた時代です。

さて、もう一方ではひとり居の喜びがあります。先ほどのパーティ後や決断の時、あるいはボッーと湯船につかっているうちに心身共に、自分らしさにゆっくりと立ち戻っていく感じ、瞑想の時など精妙な時空間を体験するひとり居です。ふと歩いて空を見上げたときの夕焼けの美しさに世界の美しさや優しさを尊いと感じる瞬間などです。
これを英語では solitude といいます

英語の表現をあげましたのも、日本語ではこれをいっしょくたにして「孤独だ」という言葉にしてしまい、たまにひとりの時間から素晴らしい創造性や決断が生まれた経験がありましても、そこに名前がないため「なんとなく」流してしまっているので、これまではなかなか「孤独が素晴らしい」という発言につながりにくかったのです。
ですから、わたしの研究はこの孤独の2つの顔を明確にして
そこに名前をつけることから始まりました。

その名前のひとつが本日の卓話タイトルでもある積極的孤独/ソリテュードなのです。
そして、もう一方の孤独感を示す言葉を消極的孤独/ロンリネスとしました。

これを米国の20世紀もっとも影響力のあった神学者そして思想家であるポール・ティリッヒは
このように見事に表現しています。

ロンリネス(消極的孤独)とはひとり居の苦痛を、ソリテュード(積極的孤独)とはひとり居のすばらしさを表現している
Language…has created the word `loneliness` to express the pain of being alone. And it has created the word `solitude` to express the glory of being alone. Paul Tillich

入院中だったカリフォルニア大学の法律学者(Toni Bernhard)は、この言葉を友人から贈られ、これまで我が身におこった不幸な病気から生まれた孤独感を新たにみつめたと言っています。

ところで、私は365日きものを纏っています。雨がふっても雪がふっても、槍がふっても?!です。これで犬の散歩にもいき、自転車をこぎ、車を運転します。これは「きものって、すごいよ、日常に非日常の感動をとりいれましょうよ、そうすれば余裕もある平和な世の中になるはずですよ」というみなさんへのお誘いのメッセージもあるのですが、実はその根底にあるのは、わたしにとってのきものライフは「ソリテュードという生き方」を具現化する手段だからなのです。と、申しますのもワンピースやスーツ、ジーンズの洋服ですと1分もかからずに着る事ができます。しかし、きものですと着慣れていても10分程度はかかります。その間は鏡にむかいます。
慣れてきますと、手は勝手に動き頭は別のことを考えています。
これは、私の「ひとりの時間」であり、今私に必要なものが何かと知ることができる貴重な時間なのです。その時、内面との対話が行われているというとちょっとかっこ良すぎるかもしれませんが、そのような時間です。

もうひとつ、きものとの関係でお話させていただきます。
ここ10年近く、品川女子学院の中学2年生への特別授業としてゆかたの着付けを行っています。1コマ45分程度の授業ですが、たった3回で、たたみ方はもちろん、さまざまな所作なども覚えるのですから14歳とは素晴らしい可能性を秘めています。6クラス、200名余に熱血指導ですから、本当に肉体労働です。しかし、ここでのわたくしの狙いは実はゆかたを着るプロセスを教えるだけではなく、先に申しあげた概念、つまりソリテュードのための独りの時間としてのきものの意味を伝えることです。きものを纏うことは内なる自分との対話ができますよ、という種まきをしているのです。
幸い、校長先生がソリテュードをよく理解共感してくださっているので、授業の前にきものとソリテュードの関係を考えた上での講演をする機会をいただいています。
そこで「きものを纏うということは内面が現れますよ」と申しますと「わ〜、こわい」、「すごすぎる」と驚きとも歓声とも言える声があがります。
その後の感想文を読むと、彼女たちの何人もが直感的にソリテュードを理解しているようで、あらためて子どもの感性のすばらしさにこちらが学ぶという次第です。

このように、ひとりの時間を短くても良いので日々意図的にもつことは、心が整いそこからその時の自分に必要な、積極的孤独/ソリテュードの効用を活用できるということなのです。

ここから、本日2つめのソリテュードの効用についてのお話になるのですが、人を成熟させるひとりの時間には、次のような効用があります。
1)勇気や決断を与える
2)自己バランスを取り戻す Inner Voice を聞け
3)考える力を高める
4)心身を統合する癒しへの道
5)ストレス耐性を高める
6)心ののりしろ(つながる部分、絆)を拡げる

以上は効用の一部ですが、そのうち2つについて補足いたします。

3)の考える力を高めるということは脳の発達とも関係しています。それを表す実験がアメリカで行われています。
赤ちゃんがひとりで眠る時間が必要なのは、脳の発達をうながすためであり、それは外部からあやされる、音をきかされるだけの子どもよりも、意図的にひとりの時間をとった赤ちゃんの方が発達するという事も証明されています。

私たちは、あのかわいい赤ちゃん時代から何十年もたっています。しかし、死ぬまで発達しつづけるのです…
人間の体は60兆ほどの細胞からできています。この細胞にこの積極的孤独/ソリテュードが素晴らしいということをすり込みます。すると、不思議なもので脳はちゃんとその効用を必要な折々に機能させてくれます。

次に6)心ののりしろについて別の表現をしてみたいと思います。

それは、ソリテュードを友とし、日常でその効用を活用するとき、人はひとりであっても、孤独感や絶望ではなくむしろつきることのない愛がわきでる泉をもっていることを知るということです。

ひとりの時間を好むことは、決して人間嫌いでも非社交的な人でもなく、むしろ心の余白をたくさんもった人であり、その余白が広いゆえに多くの人を受け入れ、繋がることができるのです。ですからソリテュードは愛と創造の源といえるのです。

孤独であることを知ることにより、はじめて他の人の何気ない優しさがしみじみと心の響き、自身の存在も含めて、生きることへのいとおしさがわいてくるように思います。

このことは、まさに2011〜2012年のロータリーのテーマである Reach Within to Embrace Humanity(心の中をみつめよう。博愛を広げるために)を実践するためにも有用ではないかと考えます。
どうぞ、意識して数分でもよいのでひとりの時間を確保し、ソリテュードの力を日常生活で活用していただきたいと思います。

3.11を体験した私たちにあっては、英国の精神分析家であり作家のアンソニー・ストーが言うように「独りでいられる能力は、精神的態度の変化が必要となったとき価値のある資質である」ことを実感し活用する年といえるでしょう。

最後に19世紀の作家、思想家であるヘンリー・デイヴィッド・ソローのこの言葉を引用いたします(森の生活)。

自宅には三つの椅子がある。ひとつはソリテュードのひと時に、二つ目は友に、三つ目は社会のために。
I have three chairs in my house: one for solitude, two for my friendship, and three for society. Henry David Thoreau

ご清聴ありがとうございました。

by @kazumiryu

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