出版不況といわれるなか、哲学関連図書が次々と出版されベスト・セラーもうまれているという。
いま、なぜ哲学ブームなのか。
日本大学哲学科教授の永井均氏によると、以下のような背景があるという。
「現代社会というのは、人々の生き方にせよ、社会のあり方にせよ。最終的な決め方がわからなくなってしまっています。つまり何を根拠にしたらいいのかわからない。
本当を言えば根拠などないのです。昔だったら神だとか宗教などが根拠なっていましたが、今はない。しかし、そこを糊塗してなんとかやっているわけです。新聞やテレビなどもそうですよ。色んなことをいいますが、実は根拠はないのですそうした根拠のなさから、個人が不安を感じているということはあるんじゃないですか。もとは哲学を必要としなかった人が哲学を求めるようになってきている。」
(朝日新聞2010/08/25)
根拠のない現代、だからこそ不安を感じる時代において、
自ら選び取った“ひとりの時間(ソリテュード・タイム)”を
一層意識すべきなのではないだろうか。
そして、人を成熟させるひとりの時間において、考えの
拠り所となるものこそが、それぞれが無意識に築いてきた知識、
知恵、経験などを融合させた“哲学”というものかもしれない。
今年はドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)
没後110年であり、人気を博している。
以下、ソリテュードを内包する彼の言葉をご紹介しよう。
ときには、遠い視野というものが必要かもしれない。
たとえば、親しい友人らと一緒にいるときよりも、彼らから離れ、
一人で友人らのことを想うとき、友人らはいっそう美しい。
音楽から離れているときに、音楽に対して最も愛を感じるように。
そんなふうに遠くから想うとき、いろいろなことがとても美しく見えてくるのだから。
『曙光』
できるだけ多くの友人をほしがり、知り合っただけで友人と認め、
いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、
自分が危険な状態になっているという証拠だ。
本当の自分を探すために、誰かを求める。
自分をもっと相手にしてほしいから、友人を求める。
漠然とした不安を求めて誰かに頼る。なぜ、そうなるのか。孤独だからだ。
なぜ、孤独なのか。自分自身を愛することがうまくいっていないからだ。
しかし、そういうインスタントな友人をいくら多く広くもったとしても、
孤独の傷はやされず、自分を愛するようにはなれない。ごまかしにすぎないからだ。
自分を本当に愛するためには、まず自分の力だけを使って何かに取り組まなければならない。
自分の足で高みを目指して歩かなければならない。そこには苦痛がある。
しかしそれは、心の筋肉を伝える苦痛なのだ。
『ツァラトゥストラはかく語りき』
(『超訳ニーチェの言葉』白取 晴彦 訳より)