ワーキングウーマンタイプ 2002年4月号 掲載
「現在、マネジメント・コンサルタントとして世界中を飛びまわっている津田和壽澄さん」
こんな書きだしで始まる雑誌を面映い思いで読み返す今、私の心の中にはかつての自分への愛しい思いがこみ上げる。「たいへんだったね」、「がんばったね」と。
ソリテュード(積極的孤独)を学術的、体系的に研究し始めて、修士論文もすでに発表した後のこの時代、まだ「おひとり様」ブームも起きてはいない。ただ、無意識の集合意識の中には、すでに群れることへの違和感やひとりの時間の効用の実感が飽和状態にまでなり、それを一部の敏感な人々はなんらかの形にしようとしていた。
そんな時代背景で、そのまだ名前もつけられていない混沌としたネガティブな「孤独」という言葉を2つの面に分け、「ロンリネス」と「ソリテュード」と名付けたことは、時代の要請であったことと自負している。
それにつけても、その直後から365日のきもの生活者となり「ひとりでも多くの日本人の生活の中にふだんきものを取り入れよう」と熱く活動するようになろうとは、想像もしていなかった。
一見、ソリテュード研究とは関係ないように捉えられるきもの生活は、じつはソリテュードという内面の自己に対峙する時空間を具現化しただけのことなのである。ジーンズならば30秒ほどで着替えがおわるが、きものでは最速でも10分程かかる。その間、自身にむきあう時間は増え、きものを纏うことによる身体性の新たな発見は、再び自己を内面に向かわせ、本来の軸をとり戻すことに寄与するのである。
私にとって、きものライフとはソリテュードを体感できる重要なツールの一つなのだ。
現在、マネジメント・コンサルタントとして世界中を飛びまわっている津田和壽澄さん。
かつて突然の理不尽な解雇を体験し、それを機に「ソリテュード・タイム(ST)」の効用を再認識し、活用しているそう。STとは意識的に一人になり、何かが発酵するのを感じ取る時間のこと。「選ばれる女」になるために欠かせないこのSTとの付き合い方とは?
最初に女性が出合うリミットの中に「グラス・シーリング」があると思います。
社会へ出てまず行う仕事は、お茶くみ、コピーとり、ワードやエクセルを使っての単純な資料作りなど。この内容は以前からずっと言われ続けていることですが、私の知る範囲では今もさほど変わってはいません。たとえ外資系企業であっても、日本にある限りあまり大差はないでしょう。
私自身の場合はどうだったかー。
新卒で勤めた企業は大手総合商社でした。その社会での第一段階で、私は率先してお茶を入れました。拭き掃除も当たり前。上司のたばこも買いにいきました。仕事とは、こういう小さなことから学び、身につけていくものだと信じていましたしたし、何よりも自分をアピールする場だと考えていたからです。
このような雑務は楽しいことはないかもしれません。でも、お茶くみも、コピー取りも、私はおもしろがって観察しながら行う仕事だと思っています。私自身、その時の視点から企業をみることが、コンサルティングの中でも役立っています。
それはなぜなのかー。 一つは、どんな瑣末にみえる仕事、例えばコピー一枚取る中にもあらゆる工夫が要求され、人により差がでることを体験的に知るからです。
次に、コピー取りばかりをひとにやらせることが、時として仕事へのモチベーションを下げることを、やはり体験的に知ることができるからです。
そして、こういう単純な作業をポジティブにとらえて行えるかどうかが、その人の次の可能性が開けるかを左右するのではないでしょうか。選ばれる女性、先に進める女性になるための第一段階です。
その後も仕事上あらゆるリミットに出合うと思いますが、それをどうとらえるかが分岐点。企業に籍をおいている限り6割は会社から与えられて行う仕事です。そして3割が会社内で自分でみつけて行う仕事。受け身ではなく、能動的に行う仕事です。そして残りの一割の使い方が、将来的にステップアップして、「選ばれる女性」になれるかどうかを決めると思います。
では、その残りの一割とは何かー。
私はそれを「創造する仕事」と言っています。「新しく立ち上げる」と言うとよりわかりやすいかもしれません。つまり、社内でまだ誰もやっていない仕事を自分から創りだすのです。
具体的にお話しましょう。
例えば文具の管理をしていて、ボールペンの消耗の激しさに気づいたとします。そうしたら、まとめ買いや違う文具店での購入の提案を行うなど、こういう小さな仕事から始めてみる。
そういう創造的で自立した人材を会社はきちんと見ていますし、評価します。そして、次のチャンスのきっかけになっていくはずです。
さて、私自身、けっしてここまで順風満帆に来たわけではありません。一つの大きな苦い体験を経て、自分らしく生きるコツを身につけました。
コンサルタントとしてあるアメリカの企業の日本進出にかかわったときのこと、私は今ふり返っても理不尽としか思えない突然の解雇を言い渡されました。それまでの私は仕事の疲れをかけめぐる体内のアドレナリンで忘れるほど忙しく充実した生活を送っていました。しかっし解雇通告によって、私は全人格を否定されたように感じ、それを節目に心身のバランスが崩れ、何も考えられず、外出すらできない状態になったのです。
そんな状態から救ってくれたのは、ひとりの時間でした。私は「ソリテュード・タイム」と名づけていますが、意識的に、積極的にひとりになるのです。それは、まだ言葉にできない想いや、行動にうつせないアイデアを発酵させていく時間です。
残念ながら、日本では多くの人が「一人」=「孤独」=「寂しい」=「ロンリネス」というイメージをもっています。かつては私もそうでした。でも、理不尽な出来事を機に、ロンリネスではない自分自身のソリテュード(孤独の明るい側面)を楽しむことを知ったのです。
それからというもの、私はどんなに多忙なときでも、自分の意志で一人になる時間・環境をつくり、そこから生まれるユニークな考え、わくわくする心地よさを公私ともに活用するように心がけています。
常に自分をいいコンディションにしておくこと。それがまた、あふれんばかりの創造性を生み、リミットをなくしてくれるのだと考えています。