OLマニュアル 2002年10月号 掲載
この雑誌は働く女性を対象としたもの。
公私ともに多忙な彼女たちにむけて、「ひとりの時間」の大切さを伝えたかった。
講演などで痛感するのは、その大切さを必要としていることに年齢や性差はないということである。
というのも先日、「私は悲しくてひとりで泣いて浄化したいこともある。でも、集団生活の中、ひとりだけ別行動していると変に思われるかもしれない」という相談を受けた。
それに対する私の答えは「人は、自分が思っているほど人のことを気にしていない。だから、変に思われると心配しすぎる必要はない」ということと「ソリテュードの効用」だった。
その後「返信メールで気が楽になり、安心した」というメールをもらい、14歳の心を一時軽くできたことがうれしかった。
“これまで引け目を感じていた人は、「自分はひとりでいる能力が高いのだ」と自分を励ましてあげればよいのです”という本文の最後を、そんな人たちへのエールとしたい。
「いつも誰かといないと寂しい」「何か予定が入っていないと不安」…そんな思いを抱く人が少なくありません。さらに、つねに誰かと一緒にいることが窮屈に感じられたとしても、「変な目で見られるのではないか」「話題についていけなくなるのが怖い」と、ひとりになることに引け目や恐れを感じてしまう人もいるようです。
しかし、ひとりの時間を大切にし、自分と向き合う時間をもたないでいると、人間的な成長に歯止めをかけてしまいかねません。また、ひとりでいるからこそ手に入れることのできるものを、逃してしまうことにもなるのではないでしょうか?
ここでは、ひとりの時間が私たちにどんな影響を与えるのかを解説し、その時間を愉しむためにはどう考え、どう行動すればよいのかをアドバイスしていきます。この機会に、ひとりの時間を見直してみてはいかがでしょうか?
「ひとり」という言葉は、とかく寂しさや焦燥感を連想させる。ネガティブで暗いもの、という印象が強いのではないでしょうか?
しかし、ひとりになることで開放感や充実感が得られることもあるように、「ひとり」には明るい側面も多分にあります。殺気立ったオフィスの雰囲気に耐えかねて踊り場に出た時、メンド追うな会合を終えて自分の部屋に戻ってきた時などは、まさにそうでしょう。
また、周りに誰もいない状況だけが「ひとり」なのではなく、群衆の中にいたとしても、意図的に誰とも口をきかない状況を自ら選んでいるのであれば、それも「ひとり」だといえます。
ネガティブな側面の「ひとり」が「ロンリネス(loneliness)」だとすれば、自分から積極的に選び取った「ひとり」を、ここでは区別して「ソリテュード(solitude)」と呼びたいと思います。そしてその時間を「ソリテュード・タイム(solitude time)」(略して「ST」)と呼ぶことにしましょう。
皆さんの中には、周囲と行動を別にすることに引け目を感じる人もいるかもしれません。それはなぜだと思いますか?
多くの人は幼少の頃から、「みんなと仲良くしましょう」「協調性をもちましょう」といった教育を受けてきました。たとえば、通知表に「みんなと仲良くしていい子ですね」と書かれることはあっても、「ひとりで遊べていい子ですね」とは書かれないでしょう。おそらく、「もう少し協調性、積極性が欲しいですね」と書かれるのではないでしょうか? つまり、群れ社会の中でどう上手くやっていくかということを、幼少時から擦り込まれてきたのです。
さらに、「のけ者にされてしまうのではいか」「自分だけ浮いてしまうのではないか」といった恐れを抱いてしまい、「害にならないならつき合っておこう」と考える人も少なくないと思います。たとえ「いつも一緒じゃイヤ。ひとりになりたい」と思ったとしても…。
もしそうであれば、勇気をもって、ひとりを選び取ってみることです。なぜなら、ひとりでいられることは、一つの「能力」だからです。多くの人はそれを能力だと認識しておらず、さらに、自分はその能力が高いのだと自覚していないために、ひとりでいることに引け目を感じてしまうのです。
これまで引け目を感じていた人は、「自分はひとりでいる能力が高いのだ」と自分を励ましてあげればよいのです。
by @kazumiryu