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ソリテュード(積極的孤独)という生き方 第1回「ひとり」は孤独?

第1回目は、「孤独」のもつ二面性についてです。

ひとりって楽しい!

当たり前の事ですが、私達は「ひとり」では生きられません。たとえ山奥にこもったとしても、そこまでたどり着く道は誰かの手により作られ、究極の自給自足をしないかぎり、日用品ひとつとっても手作りというわけにはいきません。
意識、無意識、有形、無形の支え合いの中、その恩恵を享受し生きています。

だからといって、「ひとり」でいたい人が「協調性がない」「変わりもの」などと否定される必要もありません。
なぜならば、精神の自律性は「ひとりの時間」の中からこそ育まれていく能力であり、いつも「群れ」の中での協調性だけに気を配っているのでは、その力は細く弱くなってしまうからです。弱くなった自律性からは豊かな人間関係は生まれません。すべてが順調に進んでいる時には「ひとり」でいる必要性は頭の隅に追いやられていることでしょう。

しかし、前例のない変化や急激な変化に直面し、その対処法をそれぞれの生き方として問われる時、それまでにひとりの時間から培われた「孤独力」の差がQOL(生活の質)を決めていくことは確かな事に思えます。

では「孤独力」とは具体的に何を意味するのでしょうか。
それは簡単にいうならば「孤独」のもつ二面性のうち、明るい孤独ともいうべき、自らが選びとった「積極的なひとりの時間」からわき上がる効用を意味します。

これまで主として考えられてきた「さびしい」「ひとりぼっち」「つらい」「社会から見捨てられた」という関係性を断たれたところからくる感情としての「孤独/ロンリネス」ではなく、あなたが集団から離れた時に感じる「開放感」「すがすがしさ」というような、その後必要なエネルギーを沸き立たせる「孤独」の明るい側面を意味します。

私にとって、物心ついた頃から「孤独」は大きなテーマでした。直感的に孤独力に気づきながらも、そんな自分を反社会的とまで感じ、「独りの時間」を否定してきたという反省が長じて今のソリテュード(積極的孤独)研究に至っているようです。

中には「わたしは寂しがり屋だから一人ではいられない」「忙し過ぎて、そんな事を考えている暇もない」「孤独を愛するほど強い人間ではない」という反論もあるかもしれません。しかし研究を進めていくうちに、「ひとりでいられること」は誰にも備わった能力であり、また「孤独」は人間の成熟度と比例するほど、人にとって必要なものであるということがわかってきました。

最近では米国MIT心理学教授のシェリル・タークル博士のように、インターネットの発達により、ソリテュードの必要性がますます重要であると発表する学者も出て来ており、大変心強く思っています。

次回はソリテュードとロンリネスについて、さらに詳しくお話したいと思います。

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