2011年10月下旬、ダライ・ラマ法王猊下は仏教会の招きにより今年二度目の来日をなさいました。
前回は東日本大震災直後の4月30日、東京池袋の護国寺にて鎮魂法要のために、それに続く今回は大阪、高野山を巡った後、法王さまの強い願いがかなって被災地での法要をする運びとなりました。
幸い、長野県善光寺さまのご縁により11月5(土)石巻、仙台とご一緒に過ごす機会を得ました。
故国を追われて以来、50年以上今もってさまざまな問題を抱えながらも非暴力を貫き通しノーベル平和賞を受けた法王の姿は、毎回接するたびにゆるぐことない信念と、宇宙をも包み込むような笑顔に私は元気づけられるばかりです。
鮮やかな大漁旗には「ダライラマ法王」と染め抜かれている。
石巻の漁師さんたちの心意気と祈りがこもる。
手前の後ろ姿は石巻市長
ところが今回はその笑顔が涙に曇るほどであり、その姿からは地震、津波、原発被害者とその遺族に対しての強い共感が溢れていた。
午前は石巻市 西光寺(浄土宗)、午後は仙台市 孝勝寺(日蓮宗)。
石巻ではその被害状況を事前にご覧になり、そして西光寺に集まった150名ほどの方々にむけて特に幼い子ども達に対しては、握手をしたり抱きしめたりと歩をゆるめ立ち止まられました。
石巻市 西光寺の境内。
みなさん今か今かと法王さまを待っています
西光寺出席者の臨時駐車場。「ダライ・ラマ駐車場」?ありがたすぎます。
8ヶ月前は、ここには津波で車や家が押し寄せられて瓦礫の山だったそうです
「地震、津波、原発の被害をうけたみなさん」で始まった英語でのメッセージを一言も聞き漏らすまいと集まった喪服姿の方々のまなざし、そして涙が止まらない列席者の姿には同席の各地から参集された僧侶の方々にとっても印象的だったようだ。横浜から参加された尼僧はわたしにこのように告げられた。
「ほんとうに、寄り添っていらっしゃる。私達も今回のことを決して忘れてはいけないと改めて思います」
午前午後ともに、そのメッセージで共通することは「時期がきて色々な要素が整ったときに、前世から連なるカルマが生まれます。今回のことで被害に遭われた方も、こうしてここに生き残られた方もそうです。
しかし、わたしたちは前に進んで行かねばなりません。そしてそれは必ずできます。
カルマを解消する為には、それよりももっと善い行いをしていくことです。私達にはそれができるのです」
このような内容は、ともすると上滑りになりがちがですが、ご自身が苦難を歩んでいらっしゃる法王の言葉には真実の重みが漂っています。
西光寺の本堂に、しつられらた座で話はじめられた法王さまは少しすると「I must go, I want to see their faces」とおっしゃりさっさと降りて、境内で待つ被災者の方々の方が近づいて話しをなさいました。
(警備や関係者は少し、あわてていらっしゃいました)
さらに、これまで私自身耳にしたことのなかったご自身の体験を語られたことも被災者と日本人への強いエールになりました。
「わたしは、あなた方と共有したいことがあります。1959年3月17日の夜(この部分を3度くりかえした)、
わたしたちは一夜にして中国軍により同胞を何千名と殺されました。わたしの家族や親しくしていた人たちです。
そして、わたし自身、チベットの地から亡命することになったのです…」
これまで政治的配慮もあり、自ら語ることのすくなかった体験を、一緒に共有し辛さをわかつのだという真摯な姿勢は心の中にまっすぐにはいってくる暖かさが感じられ胸が締め付けられました。
かけ足の旅となりましたが、その日、一日法王さまの思いを共有できたことを帰路かみしめ、まだ言葉にならぬ思いや3.11を体験したことの使命をじっくりとソリテュードの中で発酵させて行きたいと考えています。