この本は平成13年(2001)に初版が
平成20年(2008)に3刷が出版されている。
以下はその中の、“第六章 心地よく「ひとりになる」のは、
とても簡単”から抜粋したものである。
「おひとりさま」ブームが起きるのは、この出版後である。
よって、当時はひとりの効用が明確にされたことにより
「ひとりになる」時間をもってもよいのだと背中を押されたという
読者の感想を多く頂いた。
同時に、そうはいっても「多くの人に囲まれた生活では
なかなかひとりになれない」という意見もあった。
現在は、どうであろうか。
12月、1月は年末年始という浮き立った中で人づきあいが増える季節
あるいは「クリスマスもお正月もひとりぼっち」とロンリネス(消極的孤独)にフォーカスしがちな時期かもしれない。
そのような時だからこそ、もう一度ソリテュード(積極的孤独)を意識するのによい季節なのではないだろうか。
また、日進月歩の中、「ノー IT デー」などほぼ不可能になったと感じる現在だが本当にそうなのだろうか。
電源をいれない、みない「非日常」も体験してみてはいかがだろうか。
フォイスはやはり落ちつかないので、まずは家に戻ってソリテュードを楽しみたいと考えます。ところが現実は、小さい子どもの存在、家族との会話、家事などが「玄関に一歩足を踏み入れたとたんに襲ってきて難しい」という人への簡単ソリテュードです。
玄関を入る前に5分間、ひとりになる空間を確保するのです。
近所の公園か、駅前の本屋さんか、マンションの踊り場か、適当なところでひとりになります。目をつむっても、あけていても構いません。ただ、指先など身体の一カ所に意識を向けて、ざわめき、温度、風、色など、ぼんやりと感じる空間をもつのです。
ここで何となく(何となくでよいのです)リフレッシュできたような気になれば、あなたはきっと、それまで「心休まらない」と思っていた家庭でも、ひとりの時間を見つけることができるようになるはずです。
公私ともに完璧主義の人は、「地域ボタンティアに熱心な鈴木さん」「拓哉くんのお父さん、お母さん」「頼りになる親戚の叔父さん、叔母さん」という役割にも熱心に時間を割きます。
本当は、仕事だけでも疲れているのに。自分を取り戻すということを、仕事以外の活動をすることによってバランスを保っていると勘違いしているのかもしれません。いずれにしても、「ひとりの時間」など夢のまた夢です。
こういう責任感の強い人は、「周りも期待しているのだから」と思い込みがちですが、まず、「そうでもない」という現実を認識しましょう。
いい意味で「虚礼廃止」と唱えてください。
冠婚葬祭への出席を見直すということだけでも、自分の内面を見つめることに繋がります。つまりソリテュードを意識することになります。
わたしは、仕事の性質上、数多くあった儀礼的な「おつき合い」を一度に一切やめたことがありました。冠婚葬祭への出席、パーティ、年賀状などです。正直、とても勇気がいりました。
しかしそれ以上に、そのような「常識的なおつき合い」が求めてくる時間に意味が見出せなくなったのです。そのかわりに、仕事でなくても、本当に利害関係なくつき合いたい人、尊敬できる人には、旅先からの折々の手紙、ささやかなバースデーカードなどを送ることにしました。
この方法は、公私ともに強い印象を相手に与えるようです。お陰様で、より深い信頼関係のもとで仕事も進められるようになりました。
これについては、第4章でも例を挙げました。
毎日のように会っていなければ不安という人は、思い切って「ノー・デート・ウィーク」を作ってみましょう。
その間、電子メールも電話も、とにかく、好きな相手と接する手段はすべてノーです。つらいと思います。でもあなたが成熟した人間であれば、その寂しさの底に一握りのすがすがしさも感じることができるはずです。
ポイントは、会っていない間、「相手が何をしているのか」「他の人に興味が移るのでは」「相手には意味のないことをしているのかも」などと不安になるのではなく、相手の良いところだけを思い出し、それがどんなにささいなことであっても、そこだけを信じてその思いを創造力により増幅させるのです。
その暖かい視点は相手との会えない苦しさをやわらげてくれますし、他者へのやさしい思いへと広がっていきます。これは私の経験からも一番、盲目の恋に効くソリテュード・タイム(ST)の作りかたです。
仕事で「電子メールを毎日確認しなくては」という人は、週末にも何となく惰性で電子メールのやりとりをしたり、ネットサーフィンで何か情報を得たような気がしていませんか? それを、すべて止めるのです。電話は留守電に。必要があればこちらからかけるのです。
「ノー・IT・デー」の実行です。
普段、情報に取り囲まれて、それが身を守る武器のように感じている人にとっては、心もとなく、自分の存在感する希薄になった気がするかもしれません。もし、そう感じたらしめたもの。あなたはソリテュードの心地よい海原に漂い始めたのです。
ソリテュードを感じない人も、精神的な疲労、肩こり、眼精疲労が軽減されるのが実感できるはずです。そして、実利的な心地よさが繰り返されることにより、あなたの意識は、しだいにソリテュードに向かっていくのです。