年明け早々に『日経ビジネス アソシエ』の取材があった。終了後、別の編集の方と雑談中、20日前に旅立ったピピへの思いと犬をとりまく現状の問題点について我知らず語っていた。それに耳を傾けていた編集者が直感的に「それ、記事にしましょう!みんなもきっと知りたがっている内容です」と。その瞬間、鳥肌立ったことは今も鮮明に覚えている。こうして私の宿題は始まり、それは今も続いているのです。
大きく濡れた漆黒の瞳と輝く鼻
あなたほどの美人はいない
ちょこちょこと歩く姿の愛らしさ
あなたは哲人のように考え、賢人のように洞察する
粘り抜き、決してあきらめない忍耐強さ
あなたはそれをもってして私を自在に操る
ソファーに横たわる私の胸に腹をのせ
そのぬくもりと強く脈打つ心臓の鼓動は
次第に完璧な時空間へと私を導く
あなたと居る世界はこんなにも愛に満ちているのだ
そこには過不足なきすべてがある
ゆるぎない満足は静けさの海に漂う幸せ
再び、完璧なその世界を感じることはできるのだろうか
2009年1月23日 香港にてピピを偲ぶ
新緑が目に沁みる5月、汗ばむほどの陽気の原宿をひとり散歩する。ここにはいつも、相棒と一緒に来ていた。心が沈みがちになると、決まって竹下通りを一緒に歩いた。すると「わぁ、かわいい。白い毛がきれい。写真撮っていいですか」と人々に囲まれる。
「えぇ、いいですよ」と鷹揚に返事をしながら、内心は「うれしい!」と小踊りする、小さな子供の自分がいる。少々の屈託など、その出来事で晴れてしまう。…そんなことを思いながら、数カ月を経てやっと来られるようになったその場所に立つ。
その時、目の前をさっと白い小さな犬が横切った。まるで幻のように過ぎ去った犬は、どことなく私の相棒に似ていた。「あなたは、いつだって最高の登場シーンを演出するのね」、独りごちながら、私の胸と目がしらには熱いものが込み上げてくる。
私の相棒…。ヨークシャー・テリアのピピは、12年間、私を無償の愛で包んでくれた。
在りし日のコンパニオン・ドッグ、ヨークシャー・テリアのピピ
人生とは、様々な出会いと別れが縦横無尽に織りなされてできたタペストリーとも言えよう。そこにある喜怒哀楽も巡りくる季節によって、色合いを変化させていく。その別れが「家族」だった場合には、一層の深い織柄が心に刻まれる。
私にとっては娘であり、時としてぬくもりと慰めを与えてくれた母、友達、相棒と言えるメスのヨークシャー・テリアは、誰が何と言おうと大切な家族であった。
今、振り返ると「ピピ」と名づけたその犬の旅立ちとそこに至るまでの日々は極めて濃密な時をなし、そこでの出来事は考えもつかないほど大きな気づきと宿題を私と周囲の人々に与えてくれた。そんな宿題をこれから記すことの意味が有用となることを願いつつ、「その時」へと時間を戻してみたい。
それは華やかで浮足立つようなクリスマス、そして慌ただしい晦日の合間にある、そこだけ師走が一休みするような2008年12月27日の出来事であった。土曜日の21時30分、自宅で、ピピは11歳8カ月と12日の生涯を穏やかに閉じた。
その直前まで私は、24時間ぶりのつきっきりの看病を離れ、ピピの姿を見ながらキッチンに立っていた。15分ほど前に到着し、酸素マスクをピピの口に当てている獣医師のKさんと、気持ちは張り詰めながらも、心穏やかに世間話をしていた。
「かずみさーん、ピピが呼んでいるわ」
Kさんに呼ばれて急いで近づくと、ピピは私の姿を認めた。既に数日前から首を支える体力も萎えているはずなのに、しっかりと首を回して大きな瞳で私を見た。そして次の瞬間、ピピは潔く肉体を脱ぎ捨てた。
「ピピありがとう」
ぬくもりのあるつややかなプラチナホワイトの毛に触れながら、涙より先に振り絞るように言葉が出た。そして姿勢を正し、毎晩夜遅く往診に来てくれていたKさんに「ありがとうございました」と手をついて心からのお礼を伝えた。
これまで、プロとして動揺や悲しみを表現しなかったKさんも「ありがとう、ありがとう」と涙しながら何度もピピに呼び掛けている。
「この子は最後まで尊厳を持って、確実に自分の意思で肉体を離れたね」
「数値的には生きていることが不思議なのに、私が後悔しないように、できることを、すべてさせてくれた…」
「私たちの体力のことも考えてくれて、このタイミングで亡くなるなんて…」
そう語り合いながら、いつしか私たちは泣き笑いでピピの生き様をたたえていた。
「ピピと一緒にお風呂に入っていいですか」
「もちろん」
それは、私がピピの死に直面する覚悟を決めた時から、自宅で看取るならそうしようと願っていたことだった。そしてこの行為こそが、最期の別れを意味のあるものにしてくれたのであった。
腎不全による多臓器不全。これが、ピピが数カ月前から苦しめられてきた病名だ。
ピピが死に至ったその日の記憶は、飛んでしまっているところもあるのだが、この瞬間の出来事だけは鮮明に記憶にある。その後この「笑顔&ありがとう&お風呂」ということが、K獣医師の人生の流れまで変えてしまうことになったのである。
別れ直後の悲しみに打ちのめされている私の心には、達成感というようなある種の幸福感も同時に存在していたことを認める。とはいえその後5カ月を過ぎた今なお、私は深い喪失感に包まれている。
しかし時は刻まれ、生活は営まれていく。涙は何気ない時にあふれ出てくる。ただ、そこには不思議なことに、当初より芽吹いていた暖かいぬくもりが育っており、涙を流した後にはピピへの大きな感謝の気持ちがわき起こるのだ。
その「暖かい達成感」とでもいうような思いを実感できた大きな要因の1つは、「愛犬と最期まで自宅で一緒に過ごす」ことができたからではないかと考える。
チワワのテレビCMが印象に残る、10年ほど前の何度目かのペットブームを過ぎた今、家族の一員としての彼らは人間で言う中高年となっている(諸説あるが、犬はおおむね最初の1年で人間の17歳から20歳までに成長し、その後4歳ずつ年を重ねると言われる)。
その間、彼らはペット(愛玩動物)からコンパニオン・アニマル(伴侶動物)となり、文字通り「家族」の一員になっている。そして生育環境が飛躍的に改善された犬、彼らが抱える疾病や老後の問題は、人間と変わらないほどの様相を呈してきているとも言えよう。
野村獣医科Vセンター院長の野村潤一郎氏は、こう言う。「体力が落ちる頃から犬は賢くなり、ペットから我々の知的伴侶になっていく」と(「家庭画報」3月号、世界文化社)。
まさにこれから…、そんな高齢の「知的伴侶」とオーナー(飼い主)を巡る様々な問題やニーズが出てくるのではないだろうか。
私がこのたびピピと一緒に試行錯誤したことは、いかに「生活の質(Quality of Life)」を保ちながら、痛みやストレスをできるだけ減らし余命を楽しく過ごすか、という一点にあった。
振り返ると、知識不足や動揺から完璧とは程遠い看病だったかもしれない。ただ懸命に過ごしたあの日々が、愛すべき「知的伴侶」と暮らす方々の何らかのヒントとなれば、望外の喜びであると考える。そしてきっとそれが、天国にいる相棒、ピピから私に残された宿題なのだ…。
by @kazumiryu