2010年1月15日掲載
「愛せない、顔も嫌い、里子にだしてもっと気弱な子と暮らすのが私には合っている」
そんな思いが一気に溢れた次第は先週記したとおり。
3週間を経た今、冷静に振り返っても、なぜいつものように排泄を促す
「ちっち、ちっち」という声かけタイミングでそんな想いに押しつぶされ、
どうしようもないほどの孤独感が爆発したのかは明確ではない。
ピピが旅立った2008年12月27日からほぼ一年後という日が
私を過敏にしていただけなのだろうか。
いつもより、時間がかかったものの排便をした凜は、サークルから出され遊びに夢中。
その活発さがうとましいほどに、わたしはイライラと同程度の寂しさとむなしさに包まれていた。
凜のやんちゃな姿をみながら
「わたしが、この子と暮らしてきた毎日を支えていたものは何だったのだろうか。
責任感?なぜ私のコマンドを100%聞いてくれないの?
新しい犬と暮らす準備が本当にできていたのかしら」
という自問に対して、模範回答が様々に浮かぶ。
しかし、どれも私の心を穏やかに整理するものではなかった。
私は、しつけの助言をもらうことを口実に
小さな一言をつけたメールをKさんに送った。
「凜にはいまだ愛情がわかない」
彼女はコンパニオン・アニマルと
長年暮らしている。
躾や医療方面にわたる知識には
プロ以上の経験値がある。
どんな犬も彼女のいうことにきちんと従う。
Kさんは私のつぶやきを見逃がさなかった。
「その小さな一言、聞き逃してよいのかな」
「結構つらいです。トレーナーに合宿に出している時に、
気持ちがどこか楽になっているということは愛着がない証拠では…」
「育児ノイローゼは、誰でもあるわよ。それは恥ずかしいことでもないし、
それだけ真剣に育てようとしていること。今までの助言が少し、きちきち過ぎたかな。」
そんな発想はわたしの中にはなかった。
どろどろした感情にあっさり名前をつけられ、
それを否定しながらも何となくほっとした。
さらにKさんのメールは続いた。
「私も、一番のお気に入りの子が死んだ後きた
マリンに対して、愛情がわかなくて
“飼うんじゃなかった”、“何をしても可愛くない”、
“何で吠えるの?”、“何がいけないの?”、
“何を望んでいるの?”となり
誰かに譲ろうと何度も思ったことがあるのよ。
こんな気持ち、これまで誰にも打ち明けていないけれど」
驚くと同時に、わたしの心はそのやさしい言葉に包まれ、大きな涙が頬をつたった。
「でもね、そんな経験があったからこそ、自分のところ以外にも色々な犬猫と絆が築け、
多少彼らを救うこともできたの。今を抜けるとピピちゃんとは違った幸せがあるわ。
これは慰めではなく経験者だからこその断定!
Kazumiさんの考えていることはおかしくも恥ずかしくもありませんよ、
経験した者にしかわからないこと。私は苦労してよかった。だからガンガン愚痴ってね」
メールの会話は一時間ほど続いた。
そして私の気持ちは丹田にしっかりとおさまっていた。
「もう、動じない」
凜との生活の第二章の幕が開いたのだ。
by @kazumiryu