2010年1月8日掲載
2009年6月29日生、メスのヨークシャーテリアの凜は生後6カ月が過ぎた。
体重も1900gを超え、四肢も成長盛りのパピー特有のアンバランスさで、
足が伸び、胴が伸び、乳歯も毎日のように抜けおちている。
まさに“げんき凜々”の日々である。
一緒に暮らし始めて4カ月余だが、そのうち1ヶ月半は
トレーナー家でお世話になっているので、実質は3カ月の生活。
折々の成長ぶりや心模様はブログにアップしているが、
やはり悩みや、潜在意識にある思いは、
まだ言葉にならずその当時書くことはできなかった。
ブログでは「しつけは己との対峙である」
という事をしばしば感じ、書いてきている。
それは、ピピの場合でも同様の思いがあった
しかしその意味がピピの時と
深い部分でまったく異なっているということに
昨年のクリスマスに直面することとなった。
それは「毎日毎日、顔を見るたびに愛おしさが増し、
胸が苦しくなるほどのものだった」といえる。
そんな稀有な出会い、あるいは感情がなぜおこったのか、
本当のところは分からない。
3か月で出会ったときから病弱であり手間がかかった分、
特別の愛着(アタッチメント)が築かれた。
自分自身が傷つき疲れ果てていた時期に温もりを与えてくれた
感謝の対象なので思い入れも一入など、その背景となる説明はいくつも思いつく。
しかし、それだけではどうも、ぴたりと来ない何かが
あの強い愛着と生み出していたのである。
それは雷に打たれたかのようにある日突然、
恋を体験する胸苦しさが毎日毎日続いているようなものであった。
「今度は容貌よりも、まずひたすら元気な体」を持つ犬ということで
ブリーダーの選別により出会った凜。
うれしい誤算であったのだが思いがけず日々、ピピに似てくる容貌。
そんな恵まれた相棒を持ちながら、私はどこか凜との関係が「人ごと」のようであった。
最初それは言葉にならない「違和感」であったため、
「元気な犬と暮らすとはこんなにも違うのか」ということで自身を納得させようとしていた。
次第に社会化やしつけの段階となり、トレーナーの助言をしっかり守ろうとすればするほど、
凜が私をリーダーとしてまだ認めていないことを感じる日々となった。
手の平に乗るほどの850gの小さなやんちゃ坊主が
未来のモンスターにならないように、
トレーナーの助言をメモをとり、
給餌、排泄、睡眠など育児メモを毎日つけた。
そしていつもの様に、凜にサークルで
「ちっち、ちっち」と繰り返し声をかけ、
排泄をうながしていたクリスマスの夜更け、パンドラの箱は突然開いた。
「愛せない、顔も嫌い、里子にだしてもっと気弱な犬が私にはあっている」
そんな言葉が、胸の奥から一気に溢れだし、涙が頬をつたった。
わたしは孤独感に襲われていた。
(以下、次週に続く)
by @kazumiryu