21世紀、「ペット・ロス」は多くのオーナー(伴侶動物の飼い主)にとり、もはや遠い言葉では無くなってきている。ペットショップには、かつて種類も限られ目立たない場所にひっそり置かれた「介護用品」が店先を彩どる時代なのである。コンパニオン・アニマルが高齢化する中で、人との絆は一層深まるのかもしれない。
第5話で書いたようにコンパニオン・アニマルを巡る人々の意識も変わっている。しかしピピの死を通して「知っている」、「想像する」と「体験する」ことの違いをこれほど痛感するとは思わなかった。
「ペット・ロス」から透けてみえるものは多様で深い。それは人間関係、孤世帯、少子化、自立、死との対峙、医療問題、カウンセリングなどだと痛感する。それと同時にペット・ロスの向こう側にあるものに出会った時、私自身は少しだけ成長させてもらえた気がする。
ピピの死からそろそろ一年。去年の今頃は思いだすのも辛い看病の日々だった。
その後ペットラヴァーズ・ミーティング代表の梶原葉月さんの誘いにより、未来の心ある獣医を育てるセミナーに協力する気持ちになったのも、そんな濃密な体験があったからこそである。私にとって「ペット・ロス pet loss」の向こう側には「ペット・ゲイン pet gain」が待っていたのだ。
人は誰でも、程度の差はあれ大切な人との別れを経験する。それは様々な形を取る。理由があっての別れ、突然の別れ、病、喧嘩、転勤・転校、成長のための別れなど…。
そこから生じるストレスが、日常生活に影を落とす。
ストレスとは物理用語から来ている。例えばボールを壁に投げた場合、壁がへこむ。この場合、壁のへこみがストレスであり、その原因となったボールはストレッサーと呼ぶ。
さらに、ストレスには“ディストレス”と“ユーストレス”の2種類がある。前者は誰もが経験したことがある“つらい”ストレス、後者は達成感や高揚感を引き起こす“心地よい”ストレスである。心理測定基準によると、一見幸せに見える結婚や昇進などは、ディストレスを引き起こす高い可能性を秘めている。なぜならそれは、未経験へのチャレンジだからである。
そして私にとってディストレスの最たるものが、ピピとの別れだった。ペットロスホットラインが役に立つかどうか半信半疑のまま、指は必死でダイアルしていた。
「はい、ペットロスホットラインです」
落ち着いた女性の声を聞いた途端、自分でも驚いたことに、私はしゃくりあげていた。
頭の中で整理していたはずの悩みを相談することも忘れ、電話の向こうにいる見知らぬ女性に、ただ泣き声を聞かせるだけだった。これまでの経緯を途切れ途切れに話し「まさか、自分がこんな電話をすることになろうとは…。ペットロスは後悔のある人だけが体験することだと思っていました」とも伝えた。
先方は私の名前も聞かず、ただ穏やかに耳を傾けている。時々挟む言葉は「あなただけではないんですよ」「そうした悲しみは必ず癒やされますから」「決して異常だと思わないで」「お話を伺うと、とても素晴らしい絆を築かれたことが分かります」と言うだけ。
ピピの写真を前に面影をしのぶ
15分も経った頃、私は涙をぬぐい「ありがとうございました」と言って電話を切っていた。「ピピと私だけの特別な体験」を自負しながらも「私だけではない」ということを知ったことは、心を穏やかにさせた。
私は気持ちを共有できる人がいるということを実感し、さらに直接共有できる場所へ行ってみたいと思うようになっていた。ペットを亡くした人たちの間で数カ月に1度開かれるミーティングが、数週間後にあるという。私は「それまでには、きっと気持ちは落ち着いているだろう」と考える一方で、その日程をカレンダーに記した。
ペットラヴァーズ・ミーティングは、2009年3月21日に開催された。ピピが旅立ってからちょうど12週目の土曜日である。
私は直前まで、「知らない人に感情を吐露して、大切な思い出を無防備に晒すこと」に躊躇していた。だが結局、愛犬を自宅で看取ることの意義などを伝える機会にもなるかもしれない、と大義名分を作り上げ、会場へ向かった。
そこにはコンパニオン・アニマル(犬、猫、ウサギ)を亡くした13人のオーナーが集まっていた。男性2人を含むその集まりは、出入りも自由、話すも話さないも自由という、ボランティアが運営する会だった。まず代表者の梶原葉月さんが自身の体験を語った。そして順番に話していくのである。
驚いたのは、参加者それぞれの心の傷の、計り知れない深さであった。コンパニオン・アニマルを失ったのは10年以上も前のことであるにもかかわらず、それを昨日のことのように思い、まだ自責の念をひきずっているのである。
30代男性の、「今回初めて、思いきり涙を流しました」という言葉には胸を打たれた。別の男性は、自分が長く病んでいる時いつも一緒にいてくれた猫との不思議な出会いや、病魔と闘いながら孤独感を持っている時に、その猫のぬくもりがどれだけ貴重であったかということを、淡々と語った。
多くの参加者は家族と生活している。にもかかわらずその悲しみや絆は、その人とコンパニオン・アニマル固有のものであり、家族であっても共有できない深みが見て取れた。私の場合は1人で暮らしていたから寂しさもひとしおだと考えていたが、それが浅はかであったと理解した。
見るからに有能そうな50代女性は、語り口も落ち着いて知的であった。感情を抑えながら淡々と思い出を語っていたが、突然「誰でもいいのです! 1週間に1度でいいから、電話ください。死にそうなんです」と悲痛な声で叫ぶと机に突っ伏してしまった。
彼女はどれほど、その感情を吐露したかったのだろう。会社では「たかが犬のことで」と言われることを恐れ、誰にもその出来事を告げず、親友からのお悔やみは静かに受け止めていたのであろう。
そこにはコンパニオン・アニマルを失い、共通の痛みを抱えた個々の存在があるだけだった。私は参加者に共通する「ある謙虚さ」を感じた。つまり、感情を吐露することを許された集まりでありながらも「これ以上私事を話して、迷惑ではないか」「骨を食べたなんて言って、精神的に異常な人だと思われないかしら」「自分よりもつらい体験をした人もいるのだから、感情に流されないように相手を思いやろう」という配慮が誰の佇まいにもにじみ出ていた。
つまり、彼らは社会人として「犬が死んだくらいで仕事を休むなんてプロではない」「ペットの死は話題にしないこと」「悲しみすぎると成仏しないと言うから笑顔で過ごそう」などと自分に言い聞かせて、これまで過ごしてきていたのである。
心優しい友人からお悔やみを言われれば、元気な笑顔を返してきたのである。「家族といっても、犬(猫、ウサギ、ハムスター…)のことなんだから、分かってもらえないし」、自分自身「既に立ち直っている」と思っていたのかもしれない。
そんな複雑な感情や周囲の無理解を体験した傷、大切な絆が彼らを成長させたということが、静かに伝わってきた。そのようなことに考えが至ると、涙を流すまいと決めていたにもかかわらず、涙がひたひたと流れ出していた。そして、それは構えていた心を溶かす浄化の涙となっていた。
ペットロス症候群とは、1990年代から米国ではペットとの死別というストレスが契機となり発症した精神疾患と言われて重要視されてきた。気持ちが不安定になり、不眠、食欲不振(過食)になることもある。1カ月以上そのような状態が続き、社会生活に支障を来たすようになると、多くの人は専門家の診察を勧められる。臨床心理士や心理療法士によるグリーフ・セラピーを受けることで改善されることもある。うつ状態がひどくなると、自殺衝動に駆られこともあるであろう。
ところで日本の自殺者数は1998年の3万2863人を超えて以来、2009年3月現在、既に昨年の数を超えるであろうと予測されている。2007年からは、遺書のある自殺に関してその原因が調査項目に加わった(警察庁生活安全局地域課「平成19年中における自殺の概要資料」)。
そこには「後追い」「孤独感」という原因項目がある。一体、誰を思ってのことであろうか。コンパニオン・アニマルを失ったことを契機に命を絶ってしまう人がいるとしたら、それを弱く異常な人であると決めつけることができるのであろうか。
テレビを見ていると、河川敷に住むホームレスの男性が「この子がいるから生きている」と言っていた。「この子」とは、雑種の犬であった。その犬には首輪がつけられており、その男性に本当に大切にされている様子が伝わってきた。ひとはひとりでは生きていけない。そして、自分だけのためにも生きていけないのだ。
21世紀は様々な理由から「孤世帯」が増えていく。それにつれて家族の形態もさらに多種多様になっていく。それ故、愛するコンパニオン・アニマルとの絆の築き方、そして別れにより自分自身の生き方が試される機会が増えていくのではないだろうか。
さらにそこには、これまでの「ペットロス症候群」という精神疾患としての定義だけでは納まらない、「ペットロス」への解釈が必要となってくるのではないだろうか。そしてそこで浮き彫りとなる問題点や解決方法が、今まさに生まれつつあると実感しているのである。
by @kazumiryu