飛鳥天平の頃にもお風呂はありましたが、そのころは今のように湯に入るという習慣はなく、蒸し風呂です。
つまり、サウナです。
私も実物を見たことがありますが、部屋の隅の木の戸、ちょうど押し入れのような小さな引き戸をあけて中に入ります。床は竹の簀の子(すのこ)でできていて下から湯気が上がってくる仕組みです。そのとき竹の簀の子の上に敷く布を風呂敷と言います。今は全くその使用の目的も変わってしまいましたが本来は蒸し風呂で使うもので、同じようにその中で着るものが「ゆかた」です。正しくは「湯帷子(ゆかたびら)」といいます。材料は麻布です。
日本に木綿が入ってくるのは戦国時代です。この頃風呂を使うのは貴族ばかりで、それも娯楽的なものではなく病養生のためだったようです。 光明皇后が庶民のために作った浴舎が奈良の興福院に残されております。
桶にお湯を運び込んで湯浴みをするようになったのは戦国時代からで、江戸時代になって大変流行し「丹前風呂」という娯楽的な風呂屋が繁盛し、そういうところで湯上がりに着たのがゆかたです。
この頃になるとほとんどが湯風呂になり、蒸し風呂は砂風呂とか釜風呂とかに残るだけになります。
江戸の町は出火を恐れ庶民の家には風呂を作らせませんでしたので、各町内に1〜2件の風呂屋があり、仕事の終わった人々はそこへお湯に入りに行きます。そのとき着るのが「ゆかた」で、冬はゆかたに袷(あわせ)の着物を重ねて着てお風呂に行くのが女性達のおしゃれを競う場でもあったのです。
以上のような理由で昔は昼間からゆかたを着ることはなく、男女いずれも夏用の着物布地がありました。
現在は木綿の着物として外出着にもしているようですが。
花火やお祭りの時などはよいのですが、お稽古ごとのときなどあまり改まった場所には不向きです。もしそういう場所に着ていく場合は、是非半襟(はんえり)を出して足袋をはいてください。
昔は、紺地のゆかたは6月〜7月のはじめまで。白地のゆかたは7月〜8月のものと定まっておりました。
9月になるとまた紺地に戻ります。9月になって白地のものを着ていると、「みすぼらしい」とか「親が物知らず」とか笑われました。
今はいろいろな色がありますが、なるべく涼しげなものがよいでしょう。何を着てもよいような物ですが、日本人のおしゃれは季節感をとても大切にしております。春には春らしく、夏は涼しげに、秋はあでやかな紅葉をまねて、冬は暖かそうに。そんな風な柄を選んで身にまとうのは本当に楽しいものです。
今夏、あるテレビの女性キャスターが、赤字に白い線の麻の葉の模様のゆかたを着て出てきて、私は驚きました。というのは、昔は麻の葉というのは、生まれたての赤ちゃんが1〜2ヶ月着る産着でした。女の子は赤地、男の子は青地と決まっていて、麻の木は丈夫ですくすく伸びるものなので、親は願いをこめて麻の葉の着物を着せたのです。金魚のゆかたも今年呉服屋で見かけましたが、これも昔は2〜3歳からせいぜい7歳くらいの女の子の着るものでした。大人が着るとは驚きです。
古いかも知れませんが、私はいつまでも季節の着物を大切にしたいと思っております。
2011年7月15日 加筆
by @kazumiryu