2010年5月21(金)(社)科学技術国際交流センターの招きによりつくば市にて、研究で来日している外国人研究者の方々へ英語できものについてスピーチをする機会を得ました(英語版ENGLISHはこちら)。
「きものを纏うことは自己発見、鏡をみつめきものを着る時間はソリテュードというひとりの時間でもある」というわたくしの考えを英語で説明するのは、チャレンジングなことでした。
拙い英語ながら、その後のPARTYでチェコで物理学の教授をしている方からソリテュードにも興味があると意見交換ができたことは望外の喜びでした。
こんばんは、みなさん
この度は二の宮イヴニング・フォーラムにご招待頂きありがとうございます。
世界各地から研究のため、ここつくば科学都市に集まっていらっしゃる皆様やそのご家族に私の活動をお話できることは大きな喜びです。1時間ほどの時間の中できょうは2つの事を中心にお話ししたいと思います。一つは、きものを纏うことがなぜ自分発見に繋がるのかということ。そして二つめは、日本人のみなさんも同様の疑問をお持ちだと思いますが「着物とはどうやって着ているのか?」ということを実際におみせしたいと思います。
まず最初に、少し自己紹介をさせていただきます。私の肩書はKimono Lifestyle Consultant, ひとりの時間の効用を研究するソリテュード(solitude)研究家、現代俳句や短歌の評論家です。365日きものを着て過ごすという点では日本においての絶滅危惧種とも言えます。言い換えれば、絶滅しないために日本人はもとよりこうして海外の方にも、きものの魅力をお伝えし、ワードローブの一つとして気軽に日常にきものを取り入れようという活動をしているといえます。
ビジネス・キャリアの一つとして、私はかつてExecutive Recruiter, 人事戦略コンサルタントとして日本と米国を往復するというビジネス・パーソンでした。多忙な日常の中、Kimonoは非活動的、非効率的、非経済的であると考えており、Kimonoへの興味は全くありませんでした。ところが海外出張などでパーティに行くと、そこで昼のビジネス・スーツから民族衣装に着替えてくる人々を見て素敵な事だと思うようになりました。しかし、その時、今の自分を想像していたわけでは有りません。忙しすぎるビジネス生活を何年が過ごすうちに、高度な頭脳労働とネゴシエーションにより確実な結果を要求される仕事に心身とも疲れ果ててしまいました。その後、仕事をやめることになったのですが、気持ちはどんどん落ち込んでいきました。もちろん経済生活も考えていかねればなりません。
そんな憂鬱な日々ではありましたが、悩みながらも人の心と行動に興味があったので大学院で勉強をしたいと思い至りました。話は少し、それますが私は3歳ほどの頃より人と群れるということに違和感を覚える子どもでした。そんな体験から“ひとりの時間”(to be alone)の有用な側面であるソリテュード(solitude)を研究テーマとして修士論文をまとめました。このテーマに関しては、こちらのフォーラムから、講演のご依頼も頂いておりますのでそちらの機会に譲ります。しかし、その研究を通じて確信したことは自分の軸をぶれないようにするために、ひとりの時間というものが日常に必要であるということでした。
みなさまのような多忙な方々には、ひとりの時間を取るということは難しいことかもしれません。しかし、例えばkimonoを纏うことはジーンズにTシャツを着るよりも時間がかかります。しかも、纏う間鏡にずっと向きあいます。飛躍して聞こえるかもしれませんが、私にとって着物を纏うことは、自分と向き合い、自分の考えをしっかりと整える貴重な時間でもあるのです。私はきものを纏うことにソリテュードという生き方の一つのライフ・スタイルを見出したのです。ですから、私はきものを「着る」という日本語ではなく「纏う」という表現が適切だと考えるのです。五感すべてを包みこまれる安心の感覚、それが洋服とは違う着かたをするkimonoが気づかせてくれたゆとりの感覚なのです。
さて、きものをどうやって着ているのかということをお見せする前に、きものとは女性の場合約13mの直線の布を8つに切って仕立てたものであるということを知っていただきたいと思います。女性の場合にはここにある「おはしょり」という部分をウエストで折ることにより、長さを調整することができるので、身長に関わりなく着ることが出来ます。帯も同様に一枚の布を結んでいます。ただしKazumi流では合理的な方法を指導しているので、出来上がった帯を3つの部分に切って身につけています。こうすることにより、私はきょう10分もかからずに着ることができました。もっとも、10年程前には2時間ほどかかっても上手くできませんでした。きものもこの形に洗練されたのは江戸時代からです。その時代には、人々は“MOTTAINAI”精神に溢れていましたから、きものもさまざまにreuseされ、その行動は数十年前まで日本でも受け継がれていました。たとえば着なくなったきものは布団となり、その後座布団、そして赤ちゃんのおむつ、雑巾となり、ばらばらになったらハタキにして、その後、土に還すというようにエコロジカルな“着るもの”でした。
では、そろそろkimonoがどうなっているかお見せいたしましょう。モデルの方、こちらにいらしてください。女性の場合、まず最初にきもの用のブラをつけ、下着(undergarment)をつけます。そしてその上に襦袢(Jyuban)をつけます。これも肌着の一種です。この襦袢の襟のところに半襟(han-eri, half collar)を縫いつけます。昔はこの襟の色によって、年齢、身分、既婚、未婚をあらわしていました。既婚、未婚は袖の長さでも同様に違いがありました。衣紋の抜き方(=首の後ろと襟の空間部分のあき方)でも立場がわかりました。例えばは水商売の人は今でもここをたくさんあけています。帯の形も同様です。このようにきものは一種のnon-verbal communication toolだったのです。ただし、今ではそれらの知識も余り知る人もなく、逆にルールがあったことだけが記憶にあるため、きものは決まりごとが多いと窮屈に感じて、きものを着ない日本人が多いのです。
ここから20分ほど外国人男女へのきものや帯着付けデモンストレーション
きょうは、私の拙い英語での説明を聞いて下さりありがとうございました。私のHPにはたくさんのきものの写真や英語での説明もありますので、ぜひご覧ください。またこの後のPARTYで、さらにご質問などがあればご遠慮なくお尋ねください。
ひとりでも多くの方がきものを纏うことにより、自分の内面を探検し、心の余白を広げることで平和な世界になることを願っています。