男性のゆかたと角帯も素敵なコーディネイトができました。また女性のゆかたはこれぞ「美人ゆかた」というKazumi流一押しコーディネイトが2点と反物が1点。どうぞ、セレクト・ショップをご覧ください。
ゆかたは麻や木綿素材が主流ですが、必ず肌着や裾除け、ステテコをつけましょう。汗でゆかたが肌にべたついていると歩きづらいですし、見る方の涼感をも削いでしまいます。自宅で湯上がりにゆったりとガウンがわりに纏うのが本来の姿といえましょう。
「そんなゆかたのこと、もっと知りたい!」という方へゆかたの起源についてご説明いたましょう。
飛鳥天平の頃(飛鳥は670〜673年、天平は奈良時代後期8世紀前半)にもお風呂はありましたが、そのころは今のように湯に入るという習慣はなく、蒸し風呂つまり、サウナです。
実物を見ますと、部屋の隅の木の戸、ちょうど押し入れのような小さな引き戸をあけて中に入ります。床は竹の簀の子(すのこ)でできていて下から湯気が上がってくる仕組みです。そのとき竹の簀の子の上に敷く布を「風呂敷」と言います。今は全くその使用目的も変わってしまいましたが本来は蒸し風呂で使うもので、同じようにその中で着るものが「ゆかた」です。正しくは「湯帷子(ゆかたびら)」といいます。材料は麻布でした。
日本に木綿が入ってくるのは戦国時代です。この頃風呂を使うのは貴族ばかりで、それも娯楽的なものではなく病養生の為だったようです。光明皇后が庶民のために作った浴舎が奈良の興福院に残されています。
桶にお湯を運び込んで湯浴みをするようになったのは戦国時代からで、江戸時代になって大変流行し「丹前風呂」という娯楽的な風呂屋が繁盛し、そういうところで湯上がりに着たのがゆかたです。この頃になるとほとんどが湯風呂になり、蒸し風呂は砂風呂とか釜風呂などに残るだけになります。江戸の町は出火を恐れ庶民の家には風呂を作らせませんでしたので、各町内に1〜2件の風呂屋があり、仕事の終わった人々はそこへお湯に入りに行きます。そのとき着るのが「ゆかた」で、冬はゆかたに袷(あわせ)の着物を重ねて着てお風呂に行き、女性達のおしゃれを競う場でもあったのです。
以上のような理由で昔は昼間からゆかたを着ることはなく、男女いずれも夏用のきものの反物がありました。現在ではゆかたは木綿の着物として外出着にもしていますが、花火とかお祭りの時などはよいのですが、改まった場所には不向きです。もしそういう場所に着ていく場合は、半襟(はんえり)を出して足袋をはいてくださるとよいでしょう。