私が教えをうけたきものの師は、かつて美容室経営はもちろんのこと、海外での仕事やメディア出演、執筆、講演、各団体の理事なども歴任した先端をいく女性でした。
出会いの詳細は拙著(『着たい!私のふだんきもの』)に譲りますが、師の残した文章は、今になってしみじみと受けついでいく真髄であると感じます。そう考えますのも、そこにある内容は江戸っ子らしい合理性と、数十年前当時の事情もわかる貴重なものだからです。
もちろんプロの上にたつプロですから、あらゆる決まり事に精通したうえのセンスあるもの。
現在では思い込みや知識の混乱から間違いがちなコーディネイトへの回答にもなりそうです。
そんな達人の知恵を伝えたく、今回から折々に師の随想を掲載してまいります
(割愛、注、太字部分は読み易いようにKazumi流でおこなっています)。
朝から冬物の入れかえをするので、Nさんに手伝ってもらっていたら、突然彼女が、「あら!先生、こんなに羽織をもっていらっしゃるのですね。お召しになったのを見たことがないわ」と、衣装箱にしまってあった、わたくしの若い頃の羽織を見つけだしました。
「そりゃあ、私だって羽織を着ていたこともあるわよ。でも、羽織を着ると肩がこるし、羽織の必要があまりないし、だいいち私が羽織を着ると、似合わないってみんながいうのよ」
「そうですね。本当に先生の羽織姿って似合わないような気がしますわ。でも冬になったらいるんじゃないですか」
「私は若い頃から羽織が嫌いなので、真冬にも着ないで、帯つき(羽織を着ない姿)で防寒コートをふわっと着てでかけると、母が先方へ行って羽織なしじゃあみすぼらしいからって無理に着せられたものよ。なにしろ、羽織を着てコートを着ると、モゴモゴしちゃってあがきがとれないし、肩は張るしで、仕方がないから、どうしても着なきゃあならないときは、風呂敷に包んで持って行って、先方にいる間だけ仕方なく着たものよ。昨今は真冬でも羽織を着ない方が多くなったわね。羽織を着ないほうが、女性は正式の服装だということが、わかってきた方が多くなったし、暖房が行き届いて暑すぎる場合もあるから、汗を流しながら羽織をきているのも滑稽よね」
「先生、女の正装は羽織なしっていうのもほぼわかるのですけれど、卒業式や入学式のとき、お母様方は、必ず紋付の黒の羽織をお召しになりますでしょう。私なんか、黒の紋付の羽織を着るほうが正装かと思ったくらいですよ」
「うーん、そうね。大変むずかしいはなしになってしまいそうだけれど、女の人が羽織を着るようになったのは、宝暦の頃(注:1751-1763年の間)、深川の芸者が着たのがはじまりなのよ。一般の女性が着はじめたのは、文化・文政以後(注:江戸後期1804-1830年の間)っていわれているけれど、その頃は身分によって着るものが定められていたから、一般といっても、遊芸の師匠とか、水商売関係の女性達じゃないかしら。もちろん、武家の女性は打ち掛けとか、被布のようなものを着たでしょうね。浮世絵を見ても、女の羽織姿っていうのは、私は見たことがないのよ。よく昔から “羽織・袴で伺います” というときは、男性が、あらたまって正式にという意味だし、同じように女の場合は “衿をあらたまめまして” とか “白衿で伺います” というのだそうよ。今はみんな白衿ばかりだから、こんな言葉、意味が通じなくなってしまったわね」